世法隆寺地域の仏教建造物の概要
法隆寺地域の仏教建築物は、奈良県の法隆寺と法起時の建築物から構成され、1993年に日本で初めて姫路城と共にユネスコの世界遺産に登録されました。
この世界遺産登録地域には法隆寺の建造物47棟と法起時の三重塔を加えた48棟が含まれており、法隆寺の西院伽藍は世界最古の木造建築として世界的にも有名です。
法隆寺地域の仏教建築物は、日本に建立された最初の仏教寺院群で、その後の日本における仏教建築の発展に大きな影響を及ぼしました。
建築物からは日本と中国、東アジアにおける密接な建築上の文化交流の歴史を学ぶことができ、さらには古代ギリシャのパルテノン神殿等で使われた「エンタシス」と呼ばれる建築技法が法隆寺南大門や、唐招提寺金堂の柱に見ることもできます。
法隆寺地域の仏教建築物の所在地・基本情報
- 名称:法隆寺地域の仏教建造物
- 英語名:Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
- 登録日:1993年12月
- 住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1と周辺の登録地域(構成資産 15.03ha、緩衝地帯 571ha)
- 電話番号:0745-75-2555(法隆寺)
- 公式サイト:https://whc.unesco.org/en/list/1193/
- 交通アクセス:観光の拠点となる法隆寺までのアクセス
- JR関西本線・法隆寺駅から徒歩で20分
- JR関西本線・法隆寺駅からバスで5分(法隆寺門前バス停下車すぐ)
法隆寺地域の仏教建築物の構成遺産
奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺と法起寺エリア 15.03ha、それを保護する緩衝地帯 571haが世界文化遺産に含まれます。
- 法隆寺
- 法起寺
法隆寺
聖徳太子が亡き父である用明天皇のためのお寺として発願し607年頃に完成したのが法隆寺です。法隆寺は当時太子が、住居としていた「斑鳩(いかるが)宮」に隣接した地に建てられました。
聖徳太子は中国から優れた政治や文化を取り入れ、多くの仏教寺院の建築に携わり、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などを次々と日本に導入していったことが知られますが、法隆寺は太子の代表傑作として知られています。
太子亡き後、蘇我入鹿の軍勢により太子の一族は滅亡してしまいますが、法隆寺は太子を慕う人々によって護持され、670年頃に完全に焼失するものの、間もなく再建が進められました。
奈良時代の初頭には中心伽藍が復元され、世界最古の木造建築群として知られる「西院伽藍」も建立されました。荒廃していた斑鳩宮の跡にも夢殿が建立され、夢殿を中心とした建築群である「東院伽藍」も739年頃に完成しています。
法隆寺のみどころ
法隆寺の広い境内は、金堂を中心とした西院伽藍(西院)、夢殿を中心とする東院伽藍(東院)の2つに分けることができ五重塔、門、お堂が点在しています。境内にある国宝、重要文化財は合計約190件もあり、その数は2300点を超えると言われています。
西院の正門にあたる中門では翼を広げたように門を覆う軒とそれを支えるエンタシスの柱、左右の巨大な金剛力士像が見どころです。飛鳥建築の特徴が門の至る所に見ることができます。
西院では、法隆寺のシンボルである飛鳥時代に造られたとされる日本最古の五重塔の見学、そして西院の本堂とされる金堂では数多くの仏像を見学することができます。中でも「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)」は聖徳太子のために造られたと言われ金堂最大の見どころになっています。
東院の本堂にあたる夢殿では、「救世観音像(くぜかんのんぞう)」をはじめ数々の仏像が安置されており見学が可能です。
同じく東院にある大宝蔵院では、数々の宝物類が安置しています。ここでは日本屈指の仏教美術と称される「百済観音像(くだらかんのんぞう)」をはじめ、多くの国宝を見学することができます。
法起寺
法起寺は聖徳太子が法華経の講義を行っていた岡本宮が606年に寺院に改められたものとして知られており、法隆寺を含む、聖徳太子建立7カ寺の一つに数えられます。
法起寺は706年に完成し、創建当時のままの姿で残っている三重塔は日本最古の三重塔とされ国宝に指定されています。法起寺は奈良時代に栄えていましたが平安時代以降、法隆寺の傘下へ入り徐々に衰退の歴史を辿り江戸時代初期には三重塔を残すのみとなっていました。
その後、三重塔の修復、講堂が再建が行われ、聖天堂も建立され現在の姿になっています。お寺周辺にはコスモス畑が広がり、例年10月頃には色とりどりのコスモスが綺麗に咲き誇ります。
法起寺のみどころ
法起寺は、法隆寺から離れた立地にあるということ、またその歴史の中で衰退を辿ったという特徴があるため、境内では素朴で静かな景観を楽しむことができます。
法起寺で一番の見どころは国宝に指定されている日本最古の三重塔で、その建築には飛鳥時代の特徴を見る事ができます。塔の中へは入れませんが、入口が解放されていて、中に位牌のようなものを確認することができます。
また、もともとお寺ではなかった法起寺には金堂が無く、講堂が本堂に位置付けられているのが興味深いところです。現在見られる建物は1694年に再建されたもので外からの見学のみ可能です。
もう一つの見どころ収蔵庫にはお寺の拝観可能な仏像が全て納めらています。中でも平安時代の平安時代の木造・十一面観音菩薩立像は素晴らしく像の幹部は杉の一材から彫出しており、10世紀後半ごろの作といわれています。
法隆寺地域の仏教建築物が世界遺産に登録された理由
世界遺産に登録されるには10ある世界遺産登録基準の中で最低1つをクリアしなければいけません。
1993年に法隆寺地域の仏教建築物が世界遺産に登録された理由について見ていきましょう。
法隆寺地域の仏教建築物が該当する登録基準
1993年12月、法隆寺地域の仏教建築物が姫路城と共に日本で最初の世界文化遺産として登録されました。
その際に法隆寺地域の仏教建築物が世界遺産に含まれるべきとされた登録基準は以下4つです。
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である。
(ii) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
(vi) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
登録基準に合致している点はどこ?
それでは法隆寺地域の仏教建築物は上記(i)、(ii)、 (iv)、(vi) に照らし合わせ、どのような特徴があるため世界自然遺産として認められたのでしょうか。
日本最古の木造建築物としての価値と卓越したデザイン性に対しての価値
世界文化遺産への登録にあたり、法隆寺地域の仏教建築物は、それら建築物自体の価値に加え建物の配置における芸術的価値が認められました。
法隆寺の建築物は全体的な佇まいから細部の装飾に至るまで木造建築の傑作とされ、それらデザインは全て計算しつくされた設計になっていると言われています。
例を挙げると、当時の中国建築の影響を受けた、雲をイメージした肘木や斗、そして古代ギリシャの影響を受けたと言われる中央が膨らんだエンタシスの柱の装飾が法隆寺木造建築全体に卓越した美しさをもたらしています。
伽藍配置においても、寺が美しく見えるよう緻密に計算されていると言われています。
仏教上重要な五重塔と金堂が中央に配置され、面積の小さな五重塔は、面積の大きな金堂とのバランスが取れるよう、廻廊が絶妙に計算されていることが建築学上わかっています。
日本の仏教建築のお手本 仏教がインドから中国、朝鮮半島を経由して日本に伝来したのが、6世紀中頃で法隆寺は7世紀初頭に建立されました。まさに法隆寺は日本に仏教が入ってきた黎明期に建てられた建造物と言えます。
仏教の普及にとても熱心であった聖徳太子は、積極的に仏教文化と建築を日本に導入していきました。法隆寺には日本に伝来した仏教のうち、最も古い建築物が多数保存されており宗教史的価値もとても高いとされています。
法隆寺の仏教建築は一度火災で伽藍が失われてしまい、現存する建築物は7世紀後半のものということがわかっていますが、それでも日本の仏教黎明期のものであることは変わらず、後の時代の仏教建築に深い影響を及ぼしたと言われています。
遣隋使が日本にもたらした文化を伝える
法隆寺は聖徳太子の指揮のもと、遣隋使が日本に持ち帰った中国の技術を駆使し建立された寺院です。
そして、法隆寺は世界で最古の木造建築として知られています。
これは、中国を含めた世界中で隋の影響が残る建築物が、日本の法隆寺とその地域にしか残っていないということを意味しています。
法隆寺の建築様式には日本独自の趣向も加えられていますが、当時隋から日本にもたらされた中国の絵画や書物が解析され、法隆寺と隋の建築様式の共通点があったことが明らかにされています。
そして法隆寺の次の時代に造られた建造物には中国の次の王朝であった唐の影響を見ることができ、ここからも隋の文化を唐が継承していたことがわかっています。
法隆寺の建築物には、日本の中国文化への順応が見られる一方で、建築物の配置は日本文化に適応し、独自の風土様式を見ることができるのです。
日本の仏教文化の基礎となる仏教奨励の政策として
いまでこそ、当たり前となっている日本の仏教信仰ですが、日本に仏教が広がる基礎をつくったのが法隆寺を建立の命を出した聖徳太子です。この聖徳太子の仏教奨励政策が、我々日本人が現代に至るまで引き継いできた日本における仏教文化、伝統や信仰の基となっているのです。
聖徳太子の時代、日本は仏教を受け入れるか否かで揺れていたとされています。太子や周囲の人物は積極的に仏教と仏教文化を受け入れ隋に使者を派遣し大陸の文化を学びました。そしてその後、中国の仏教文化に倣い、冠位十二階や十七条の憲法等の政治システムを導入しました。
このように当時の日本の中枢にいた人物たちが仏教奨励を選択し、法隆寺やその他の寺院を建立したことで日本に仏教が広がっていったのです。
この日本への仏教の流入は、その後の日本における文化、歴史、信仰に多大なる影響を与えたとされています。
法隆寺地域の仏教建築物へのアクセス
奈良を代表する観光地である法隆寺地域の仏教建築物(法隆寺と法起寺)ですが、観光の拠点となる法隆寺は、他の観光地である東大寺や春日大社等がある奈良市とは離れた斑鳩町にあります。
今回は斑鳩町の法隆寺にアクセスする最短ルートをご紹介します。
東京から法隆寺へ行くには?
所要時間:約2時間40分
羽田空港から伊丹空港まで飛行機で約1時間5分、伊丹空港からJR奈良駅までバスで約1時間15分
JR奈良駅からJR法隆寺駅までJR大和路線で約11分、その後、JR法隆寺駅から路線バスで法隆寺門前まで約8分
大阪から法隆寺地域の仏教建築物へ行くには?
所要時間:約1時間
JR大阪駅~JR法隆寺駅まで大和路線で約45分
JR法隆寺駅から路線バスで法隆寺門前まで約8分
法隆寺地域の仏教建築物周辺の観光地
法隆寺地域の仏教建築物を観光した場合の、周辺の観光地についてご紹介させていただきます。
いずれの観光地もウトロ温泉まで向かう途中に位置しているため、知床観光の前もしくは後に訪ねることができ、アクセスも便利です。
法輪寺
法論寺へは奈良交通、法起寺経由法隆寺前行に乗車し「法起寺」で下車し、そこから 徒歩10分で訪ねることができます。
法論寺は諸説ありますが、聖徳太子の息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が聖徳太子の病状回復を願って建立されたという説があります。
平安時代中頃までは大寺院として栄えましたが、その後、法起寺と同じ歴史を辿り衰退し江戸時代初期には三重塔が残るばかりでした。
江戸中期、妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を信仰する妙見信仰が広がり、妙見菩薩をお祀りする法輪寺にも信徒が集まり、やがて伽藍も復興されたと言われております。
現在は、飛鳥時代から平安時代にかけての多くの仏像を拝観できる寺院として人気の観光地になっています。。
藤ノ木古墳
藤ノ木古墳には、JR 大和路線「王寺駅」から奈良行バスに乗車し「斑鳩町役場前」で下車、そこから 徒歩5分の移動で訪ねることができます。
藤ノ木古墳は、日本で国宝に指定されている金銅製の馬具や装身具類、刀剣類など多くの埋葬品が出土した古墳として知られ、推定6世紀頃に造られたと言われています。
現在は周辺が整備され、石室内は特別公開時以外は基本的に入れませんが、石室入り口からガラス窓越しに内部の様子を見ることができます。
研究者によると、石棺に眠る2人の被葬者は、崇峻天皇、蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子(あなほべのみこ)、宣化天皇の皇子とされる宅部皇子(やかべのみこ)といった人物が推定されています。
また、古墳から南に数百メートル歩くと古墳についてのガイダンス施設である斑鳩文化財センターがあります。藤ノ木古墳についてより詳しく学べるので、是非斑鳩文化財センターも訪れることをお勧めします。
竜田川と竜田公園
竜田川と竜田公園にはJR大和路線「王寺駅」から奈良行バスに乗車し「竜田大橋」で下車、そこから徒歩5分で訪ねることができます。
竜田川と竜田公園は斑鳩町の南西部に位置し、竜田公園は川沿いの都市公園です。かつて在原業平(ありわらのなりひら)が、「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」と詠ったもみじの名所として知られ、現在春には三室山の桜、初夏には新緑、秋には紅葉と川沿いの公園から四季折々の景色を楽しむことが可能です。
その昔、祟神天皇が川を訪れたとき、上流から流れてきた八葉のかえでを龍田明神に五穀豊穣を祈って献上したと言われています。この故事が由来となり竜田川は紅葉の地として知られ、平安時代以降、多くの歌人によって龍田川の紅葉が詠まれることになりました。
法隆寺地域の仏教建築物周辺の宿泊施設
法隆寺と法起寺観光の拠点となるのが、斑鳩町と天理市です。りゅ観光に便利な拠点となるのが知床ウトロ温泉です。ウトロ温泉ではオホーツク海に沈む夕日を露天風呂から眺めることができる温泉宿が多く、源泉かけ流しのところも多いため、知床散策の疲れを癒すには最高の宿泊地となります。
ハイクラスからスタンダード、そして民宿、ドミトリーといったお手軽価格で宿泊できるお勧め宿をご紹介します。
門前宿 和空法隆寺
斑鳩町、法隆寺の参道沿いある「門前宿 和空法隆寺」 は法隆寺から徒歩数分の位置し法隆寺へのアクセスには最高のロケーションです。
和空法隆寺では最高級のサービスをうけることができます。大阪・北新地の名店「神田川」店主の神田川俊郎シェフがプロデュースする大和牛や大和肉鶏、伝統大和野菜などの地域の食材を活かした門前懐石料理、大和のお茶を利用した日替わり風呂、そして客室は和洋折衷のナチュラル和モダンのくつろぎと快適さに重点をおいた内装になっています。
また、共用のラウンジでは奈良や法隆寺の歴史を学べる貴重な書籍が用意されており、お茶やお酒と共にリラックスしながら現地について学ぶことができます。
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柿本家
柿本家は法隆寺駅からタクシーで約20分の信貴山の高台に位置しており、伝統的な建築様式、大浴場、季節の料理、和室の客室が自慢の宿です。一部のお部屋や館内のあらゆる場所からは四季折々の美しい金剛生駒紀泉国定公園の山並みを一望することができます。
お部屋によっては客室露天風呂が備え付けられているのもうれしいサービスです。
柿本屋では食事にも拘っています。夕食は名物の「旬会席」を是非お楽しみ下さい。日本伝統の会席に洋食のエッセンスが加わった創作料理の会席料理です。また、夕食と朝食共に地元ならでは食材を使った多彩な和食メニューとなり、お食事の際は全室個室のプライベート空間でゆっくりと楽しむことができます。
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信貴山 玉蔵院 宿坊
歴史古い法隆寺地域の仏教建築群を見学をするなら、どうせなら歴史的建造物に宿泊してみたいと思う方向けにご紹介したいのが信貴山玉蔵院の宿坊です。
信貴山玉蔵院は歴史をさかのぼると鎌倉時代に起源があります。興教大師覚鑁(かくばん)上人が信貴山に参篭した際、毘沙門天より不思議な玉「如意宝珠」を授かり、このお寺に蔵めたことから玉蔵院と呼ばれるようになったそうです。
由緒あるお寺ですが、現在では宿坊が一般のお客様に宿泊施設として提供されています。施設内には大浴場、ギフトショップ、飲み物の自動販売機等もあり、宿泊者は快適に宿坊滞在を楽しむことができます。なんと無料のWiFiも利用できるのです。
もちろん境内を望む客室はシンプルな和室でお寺の宿坊ならではの雰囲気を楽しむこともできます。信貴山玉蔵院は法隆寺と同じで、なんと木造建築物では世界最古であり、ユネスコの世界文化遺産に姫路城、法隆寺と共に、日本で初めて登録されています。宿泊をすれば各時代の貴重な建築物や宝物類を広大な境内で見学することができます。
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東横イン奈良王寺駅南口
法隆寺付近でコストパフォーマンスの良いシティーホテルをご紹介します。JR法隆寺駅から関西本線で王寺駅まで行き、駅南口から徒歩3分で、東横イン王寺駅南口に到着します。全国的に知られる東横イングループのホテルなので、低価格で安心と快適が補償されています。館内には自動販売機、コインランドリー(有料)、レンタルできるパソコン、ナイトウェア、アイロン、ズボンプレッサー等、ビジネス旅行にもありがたいサービスが豊富に揃っています。
駐車場もあるので、車で奈良と周辺の観光をしている方でも安心して宿泊することができます。
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OYO 緑ガーデンホテル 奈良香芝
コストパフォーマンスで勝負するなら、OYOガーデンホテル 奈良香芝をお勧めします。法隆寺から最寄りの法隆寺駅から志都美駅まで移動し、そこから徒歩で約10分の距離に位置しています。
ホテルのレビューを見ると、料金が安いのに部屋の内装は広く、清潔感もありとても綺麗と好評です。またホテルスタッフの対応も丁寧で親切です。
このホテルは、自家用車、もしくはレンタカーで旅をしている方にとてもお勧めできます。コストパフォーマンスも良く、サービスも丁寧で、しかも料金も安いとなれば泊まらないという選択肢はなくなるでしょう。
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まとめ
世界遺産法隆寺の仏教建築物は古の歴史があり、それゆえに多くの観光客が訪れるということがわかりました。
ユネスコの世界文化遺産に登録される基準として、世界的文化価値とその歴史の継承に関わる希少価値、そして日本にのみ残る中国王朝の当時の文化と建築様式があります。
今日では日本の世界遺産は23箇所(2020年2月現在)となりましたが、法隆寺はそれらの中で日本で認められた最初の4つに入っているのです。そう考えるとすごいことです。
中国では見られない古の中国の歴史の軌跡が日本で見られることの希少性と神秘を感じ、法隆寺地域の仏教建築物を見学いただけると嬉しく思います。
参考記事
今回の法隆寺地域の仏教建造物のご紹介をするにあたり以下のような記事を参考にさせていただきました。