中国地方の世界遺産「原爆ドーム」 アクセス・周辺の観光地から登録理由まで

広島平和記念碑(原爆ドーム)の概要

広島県広島市にある広島平和記念碑は、一般的には原爆ドームとして認知されており、日本に世界で初めて原爆が落とされた1945年8月6日午前8時15分、爆心地近くに建っておりました。

原爆投下以前には広島県の産業奨励館と呼ばれ、広島物産品の展示や販売をする場所として、そして広島県美術展覧会や博覧会も催される複合施設として利用されておりましたが、爆弾投下時の熱で煉瓦や石材、窓ガラス部分は全て焼け落ちてしまいました。

現在、ドームの骨格のみ残る様は今に原子爆弾の悲惨さを語り継いでおり、「二度と同じ悲劇が起こらないように」という願いを込めて1996年12月に世界文化遺産に登録されております。

広島平和記念碑(原爆ドーム)の所在地・基本情報

  • 名称:広島の平和記念碑(原爆ドーム)
  • 英語名:Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
  • 登録日:1996年
  • 住所:広島県広島市中区大手町 1-10
  • 電話番号:082-245-2111(広島市役所)
  • 公式サイト:https://whc.unesco.org/en/list/1193/
  • 交通アクセス:
    • 広島駅南口から路面電車で20分,原爆ドーム前から徒歩で
    • 広島空港からバスで60分、広島バスセンターから徒歩で5分

広島の平和記念碑(原爆ドーム)の構成遺産

世界遺産として登録されているのは、原爆ドームが位置する敷地の部分のみで、構成資産 0.4ヘクタールと、それを保護する緩衝地帯 42.7ヘクタールです。

  • 広島平和記念碑(原爆ドーム)

広島平和記念碑(原爆ドーム)

広島平和記念碑(通称原爆ドーム)は、チェコ人建築家、ヤン・レツル氏が設計を手掛け、1915年に広島市の中心部にて開館しました。かつては広島産業奨励館として知られ、その西洋風のモダンな佇まいは当時木造家屋が主流だった広島市内ではひときわ目立ち、まさに広島市のシンボルとして存在していました。

広島平和記念碑の構造は、一部鉄骨を利用したレンガ造りで、石材とモルタルで外装が施され、全体で3階建、そして正面中央部には5階建の階段室が設けられその上に楕円形のドームが載せられているというものでした。

被爆当時の惨状を残す原爆ドームの姿は、新しい時代へと戦争の悲劇を語り継ぎ二度と同じ事を繰り返さないようにするための戒めとして、そして核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えることができるシンボルとなっています。

広島平和記念碑(原爆ドーム)のみどころ

広島平和記念碑の内部には立ち入ることはできず外から見学することになります。

広島平和記念碑は普通の観光地とは異なります。

原爆が広島に投下された当時、広島市がどのような状況にあったかを考えながら見学することが必要で、記念碑についても通常の文化財建造物とは異なり、原爆により破壊された建物をその時の状態を留めたままで保存していくことに重要な意味があるとされています。

このような考え方が世界遺産登録の際にも大きな要素となったと言われています。しかしながら、耐震性の確保や劣化対策のための措置を継続して行い原型をいかに残したまま保存していくのかが現代の課題です。

現在広島平和記念碑は広島県から広島市に譲渡され、国内外からの善意の募金により現在に至るまで3回の大規模な保存工事が行われています。

広島平和記念碑は、そのすぐ近くが爆心地となったにも関わらず本館中心部が倒壊を免れました。当時の爆心地は記念碑から南東約160メートル、高度600メートルのところだったとされており、建物が受けた爆風の衝撃は圧力が1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルの凄まじいものでした。館内にいた人は全てが即死、建物は爆風と熱線で大破し全焼しました。本館中心部の骨組みが残ったことはまさに奇跡だったと言われております。

広島平和記念碑は、爆心地では数少ない被爆建造物として残されました。

広島平和記念碑(原爆ドーム)が世界遺産に登録された理由

世界遺産に登録されるには10ある世界遺産登録基準の中で最低1つをクリアしなければいけません。
1996年に広島平和記念碑が世界文化遺産に登録された理由について見ていきましょう。

広島平和記念碑(原爆ドーム)が該当する登録基準

広島平和記念碑は、1996年12月に開催されたユネスコ第20回世界遺産委員会メリダ会議にて核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました。

その際に広島平和記念碑が世界遺産に含まれるべきとされた登録基準は以下1つです。

(vi) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。

基準(vi)のみの適用で登録されているのは例外的なケースなのですが、広島平和記念碑のように比較的歴史の浅い負の世界遺産にはしばしば見られる傾向となっています。

登録基準に合致している点はどこ?

それでは上記(vi) に照らし合わせ、どのような特徴があるため世界文化遺産として認められたのでしょうか。

核兵器の被害を受けて今も残る世界で唯一の建造物

広島平和記念碑(原爆ドーム)は1945年8月6日午前、広島市に世界で初めて核兵器である原子爆弾によって破壊された広島県産業奨励館の焼け跡です。奇跡的に全壊を免れた記念碑は、人類最初の原爆被災を象徴するモニュメントとして戦争の悲惨さ、核兵器の無慈悲な力を現在に語り継いでいます。

世界文化遺産として登録されている範囲は記念碑とその敷地部分だけですが、記念碑周辺の平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館等を一緒に見学することによって核兵器の力と、被害を受けた広島市民の当時の状況等、悲惨な戦争の実態を世界に訴えています。

広島平和記念碑は、まさに「歴史の生き証人」として後世に向けて平和へのメッセージを語り継いでいるのです。

募金で保存された広島平和記念碑

広島平和記念碑が、核により被災した当時の状況を現在に留めているのは、広島市民の弛みない努力の継続と世界中の人々が世界の平和を祈っているからです。

広島平和記念碑はただの戦争遺跡としてではなく、核兵器の力、当時の広島市民の被害状況等を現代に語り継ぎ、二度と同じ事を繰り返さないという強いメッセージを発信する遺産という役割があります。

そのため、建物の保存に関して、できるだけ、破壊された当時の状況を保ち続ける必要があります。定期的な点検作業、耐震、風化対策を施す等、一般的な世界遺産の修復や改修工事とは異なります。

広島平和記念碑は、これまで世界中の人々からの募金により3度にわたり大規模な工事を行うことで、広島平和記念碑は保存状態を良好に留めてきました。

人類の負の世界遺産としての広島平和記念碑

負の世界遺産という言葉は世界遺産条約で定義されているものではありませんが、これまで人類が行ってきた「負の行為」を後世に語り継ぐため、そして人々の記憶にとどめるための役割を担う遺産の総称として利用されています。

広島平和記念碑は第二次世界大戦に関わる戦争遺跡の世界遺産として、ポーランドにある「アウシュビッツ強制収容所」に続き二番目の登録となりました。広島平和記念碑は核兵器の惨禍と根絶を世界に訴える強力なメッセージを発信する拠点として世界中から期待されています。

平和記念碑の世界遺産登録にあたって、世界遺産委員会の二十一か国のうち、アメリカは不支持、そして中国は賛否を保留しましたが、他の国々からは支持を得ることが成功し世界文化遺産となりました。

広島平和記念碑(原爆ドーム)へのアクセス

広島市内中心部にある広島平和機縁日へアクセスする最短ルートをご紹介します。

東京から広島の平和記念碑(原爆ドーム)へ行くには?

所要時間:約2時間40分

羽田空港から広島空港まで飛行機で約1時間40分、広島空港からエアポートリムジンバスで約50分移動、広島バスセンターで下車し徒歩5分

大阪から広島の平和記念碑(原爆ドーム)へ行くには?

所要時間:約2時間

JR新大阪駅からJR広島駅まで新幹線で約1時間30分、JR広島駅から広島電鉄市内線で約16分移動、原爆ドーム前で下車

広島平和記念碑(原爆ドーム)周辺の観光地

広島平和記念碑を見学した場合の、周辺の訪問地についてご紹介させていただきます。

広島平和記念碑は広島平和公園からもほど近く広島市の中心部に位置しているため、近くにレストランやカフェ、そしてホテルも多いためとても便利な場所に位置しています。

広島平和記念公園内モニュメント等(平和の鐘、原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑等)

広島平和記念公園は川を挟んで対岸に位置する公園です。広島平和記念碑からは公園へと続く橋を徒歩で渡りアクセスすることができます。

記念公園内には多くの記念碑が建てられており、広島平和記念碑(原爆ドーム)と合わせて見学すると良いでしょう。

平和の鐘の表面には世界は一つであるということを表す国境のない世界地図が刻まれています。人間国宝である故香取正彦氏が核兵器の廃絶と世界平和を目指してつくったものです。

平和公園の象徴とも言われる原爆の子の像は、当時2歳で被爆し10年後に白血病を発症し短い生涯を終えた少女、佐々木禎子さんを偲び建てられました。佐々木さんは折り鶴を折りながら闘病世界を続けたと言われています。今も平和を願う折り鶴が世界中から届けられており、その数は年間約1千万羽にものぼります。

平和の灯は、世界恒久平和への願いと共に1964年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けています。石碑は東京大学教授の丹下健三氏が設計したもので、核兵器が地球上から姿を消す日までもやし続けようという反核悲願の象徴となっています。

原爆死没者慰霊碑の中央の石室の中には、国内外を問わず被爆して亡くなった原爆死没者の名簿が納められており、毎年関係者により書き加えられています。

碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という碑文が刻まれています。

広島平和記念資料館(広島平和記念公園内)

広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え世界恒久平和と核兵器廃絶の実現することを目的に1995年に開館しました。

館内では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料が展示されており、核兵器の恐ろしさを身近に感じ考えることができます。

また広島の原子爆弾投下後の歩みや各時代についても紹介されており、広島がどのように復興してきたかについても学ぶことができます。

被爆者による被爆体験講話会等も実施しており、館内の展示、被爆者の体験談の惨さに心を痛めてしまう場合もあるでしょう。

無理のないよう見学をすることをお勧めします。

広島平和記念資料館のすぐ横には被災したあおぎりの木が移植されています。このあおぎりは、近くにさえぎるものがなかったため、熱線と爆風をまともに受け枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けたと言われています。

しかし、その後、奇跡的な復活を遂げます。あおぎりは、翌年の春には芽吹き被爆と混乱の中で人々に大きな勇気と希望を与えたと語り継がれています。

広島城

広島平和記念碑にほど近い距離に広島城があります。記念碑からは徒歩圏内ですが、広島駅から だと路面電車に乗り「紙屋町東」または「紙屋町西」で下車後、徒歩約15分の距離です。

広島城は1589年、豊臣秀吉の五大老の一人である毛利輝元によって築城されました。その後戦国時代を経て、城の主は福島氏、浅野氏と代わり浅野氏の統治時代は西日本最大の都市として広島は発展しました。

築城以来の天守閣は国宝に指定されていましたが、原爆投下により倒壊してしまいます。その後広島復興のシンボルとして1958年に外観が復元しその後の内部改装により現在は歴史博物館として見学することが可能です。

博物館内部では広島城の構造や武家文化、広島城下町の歴史、文化、暮らしについての資料が展示されています。広島城関連遺跡からほぼ完全な形で出土した貴重な金箔鯱瓦と金箔鬼板瓦の展示室、侍の鎧等を身に着け記念撮影できるコーナーも観光客で賑わっています。

展望室からは広島平和記念碑(原爆ドーム)が見え、晴れている日には遠くの宮島も望むことができます。

広島平和記念碑(原爆ドーム)周辺の宿泊施設

広島平和記念碑と周辺の観光の際に便利な広島市内中心部に位置するホテルをご紹介します。ハイクラスからスタンダード、そして民宿、ドミトリーといったお手軽価格で宿泊できるお勧め宿も含めています。

 ANAクラウンプラザホテル広島

ANAクラウンプラザホテル広島は、広島駅南口より路面電車で約20分の距離に位置しています。

ホテルから広島和記念碑までは徒歩で約10分の場所にもあり、ANAクラウンプラザホテル広島はビジネスと観光の中心地として機能していながらも、館内ではお客様が落ち着ける落ち着いたくつろぎの空間をご提供しています。

ANAクラウンプラザホテル広島では、お客様のお好みに合わせて利用できる6箇所のレストランとバーが評判です。和食、中華、そして軽食等の各レストランでは、最高レベルのシェフが手掛ける最高レベルの地場のものを楽しむことができます。

さらに上の寛ぎを求める方にはクラブフロアの宿泊もお勧めです。上層階21階から19階までのゲストルームでは、広島市街や遠く瀬戸内海の島々、日本三景の厳島を望むことができ、オーディオシステムや加湿空気清浄機、専用アメニティー「ELLE spa」、コーヒーメーカー、USBタップなどが常備されています。

クラブフロアに宿泊のゲストは、クラブラウンジでのアフタヌーンティーやカクテルサービス、朝食等のサービスが受けられプールも無料で利用することができます。

リーガロイヤルホテル広島

リーガロイヤルホテル広島は、JR広島駅から車で約10分の距離に位置しています。広島平和記念碑からは徒歩で約5分の距離にあり観光にも便利なところです。

各部屋には薄型衛星テレビ、専用バスルーム(バスタブ付)、そして無料Wi-Fiが完備されており、その他のアメニティ、例えばエアコン、机、ズボンプレッサー、ヘアドライヤー、バスアメニティー、空気清浄機等が備え付けられています。

ホテル内はレストランも充実しており、「ルオーレ」ではビュッフェ式のバラエティに富んだ内容の料理、「シャンボール」ではフレンチ、そして「なにわ」では和食をご提供しています。その他にも中華料理、鉄板焼き、寿司も食べられます。

花門ホテル Seto

花門ホテルSetoは広島平和記念碑から約600m、徒歩5分の場所に位置しています。広島駅からは路面電車での移動が便利で、土橋駅から徒歩約3分、もしくは本川駅から徒歩約3分の距離となっています。

客室はシングルルームとダブルルームがあり、決して広くはないものの清潔感がありYouTube・abemaTVなどの無料動画サービスが視聴可能で、高速インターネット回線も全室に完備されています。また、暖房便座式シャワー付きトイレ、冷蔵庫、空気清浄機ドライヤー等のその他アメニティも充実しております。

館内の1階と2階はおしゃれな居酒屋となっており、ファッショナブルな和洋創作料理が提供されています。また3階には電子レンジ、ウォーターサーバー、製氷機、コーヒー、紅茶等もご自由にご利用いただけるようになっています。

The Evergreen Hostel

The Evergreen Hostelは広島平和記念碑から徒歩で訳8分の距離に位置し、このホステルは長期滞在を歓迎しております。

部屋はミックス・ドミトリー(男女共用)と女性専用ドミトリーがあり、各お部屋にはエアコンが完備されており、館内には共用のラウンジ、キッチン、バスルームがあり、館内どこでも無料の無料WiFiが利用できます。

さらに長期滞在のゲストの部屋には湯沸かし器と電子レンジが用意されます。観光地からはもちろん、大きなショッピングセンターからも徒歩圏内に位置しています。

また広島名物お好み焼き屋、そしてコンビニからは徒歩30秒の距離にあるため便利です。

36ホステル

36ホステルは2017年の9月にオープンしたホステルで、広島平和記念碑(原爆ドーム)と広島平和記念公園から徒歩8分という便利な立地です。

最寄の駅は路面電車の十日市町停留場で、ホステルから徒歩約2分の距離で、JR広島駅までは路面電車で20分です。徒歩1分の距離に24時間オープンのスーパー、個人経営のカフェ、広島名物のお好み焼き屋も多くあります。

部屋のタイプは、Mix Dormitory(男女共同ドミドリー)、Female Domitory(女性ドミトリー)、Private Room(個室)があり、全室無料のWi-Fi完備です。ドミトリーにはプライバシーカーテン、電源コンセント、読書灯、セーフティボックスが付いています。

ゲスト共用ラウンジには、冷蔵庫、電気ポット、電子レンジ、トースターが利用できます。そして共用シャワールームもあり、無料でバスアメニティを利用することもできます。

まとめ

広島平和記念碑は、日本にある他の世界文化遺産とは、そもそもの世界遺産登録コンせプトが異なり、戦争の凄惨さや原子爆弾の犠牲となった広島市と市民の歴史等、強いメッセージを発信しています。

そのような平和記念碑ですから、ただ美しいものを見て、おいしいものを食べたいという一般的な観光を楽しみたい方には訪問はお勧めできません。しかしながら、日本人として生まれたからには生涯一度は訪問し、戦争の悲劇に向き合い同じ悲劇を繰り返さないよう学び考える必要がある場所でもあります。

広島平和記念碑は、国内外からの多くの募金により保存工事が施されており、当時の被爆した状態を現代に語り継いでくれています。今後、今の状態の保存を継続することに課題も多くありますが、世界中の平和を望む人々の思いが途絶えない限り、広島平和記念碑は存続し続けるのでしょう。

広島平和記念碑と近隣の広島平和記念公園、そして公園敷地内の資料館に足を運べば現代の平和という尊さを実感することができます。

参考記事

今回の広島平和記念碑(原爆ドーム)ご紹介をするにあたり以下のような記事を参考にさせていただきました。

Wkipedia

日本の世界遺産

ひろたび

ひろしま観光ナビ

じゃらんネット

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